詩集と死臭-01.

――ああ、どうしよう。

 部屋の真ん中に座り込んでいる。へたり込んでいただとか、崩れ落ちていたという表現がぴたりとはまる格好で。リビングの扉が開いた事にもまるで気付かないように。気付いてたけど。
 扉を開けて入ってきたケイは、いつもどおりの上半身裸で、寝不足そうな顔をしていた。彼はこちらに一瞥もくれる事なく冷蔵庫の前に直行し、中から牛乳瓶をとりだしてぐびぐびと飲んだ。それからようやくこちらの方に目を向けて、やっぱり牛乳瓶をぐびぐびと飲んだ。
 傍に脱ぎ捨ててあったスリッパを取り出し、ケイに向かって全力投球する。
 避けられた。
 
 呆れたわけでもない、感情のこもらない声でケイは言う。
「何やってんだ、お前」
「わかってはいたんだけどね! でもリアクションが欲しかったのっ……! 無駄だってわかっても欲しかったの!」
「煩い。朝から騒ぐな馬鹿」
「もう昼だよ! あんたが中々起きて来ないから一時間以上もセッティングしちゃってたよ! 暇すぎるわ馬鹿!」
「諦めろ馬鹿」
「三十分超えると意地になってちゃったんだよ馬鹿!」
「それが馬鹿だっつってんだ馬鹿」
「馬鹿って言うな馬鹿!」
「まずお前が改めろ馬鹿」
「あ、何処行くの馬鹿!」
「馬鹿のつけ方不自然だろうが馬鹿」
「馬鹿馬鹿いい過ぎて馬鹿って何だったかわかんなくなってきちゃった」
「馬鹿が」
「あ、思い出した、貶し言葉でしたね……!」
 スリッパ投擲。避けられる。もうスリッパがない。
 なので、掴みかかってみた。立ち上がり、早足でケイの眼前に。が、よく考えたら服を着ていないので掴むところがない。という訳で首を掴んだ。
 しかし、特に何かを思った様子はない。感嘆符はつけない、疑問符もつけない、間も取らないし感情もこめない棒読み口調がアイデンティティの男なのである。
「放せアイ」
「了解した。喜んで話させていただく」
「その話せじゃない」
 知った事ではない。

「食べる物がもう無いんだけどどうすればいいかな!」

 この前フリのために頑張ってポーズとっていたというのに、がっかりである。
「あるだろ」
 不思議そうな顔で、しかしあくまで棒読みに、冷蔵庫の隣、バスケットに入れられた菓子パンの山を指差す。
 菓子パン。
 他に表現のしようがない、チョコレートだの砂糖だのでふんだんにコーティングされている、最早パンと呼ぶのもおこがましい代物である。装飾過多だ、エコに協力しろ。憎たらしい事この上ない物体だった。

「菓子パンは、食べる物じゃない」

 額に衝撃。続けてがしゃりと何かが崩れる音。小さな欠片が足元にぱらぱらと。
「ぎゅうにゅうびん!? ぎゅうにゅうびんなげた! このしきんきょりで! ていうかぶつけられた!」
「割れた」
 そこに吃驚したと言わんばかりである。
「割れるに決まってるだろう! 万物流転、形ある物はいつかは壊れるんだよ! それを早めてお前は一体何が楽しいんだよ! 何処のクラッシャーだ貴様!」
 「穀潰しが、人の与えた食料に、文句を言うな」と、ばさばさの髪を弄りながらケイ。どうでもいいという意思表示、ここに極まりだった。そして元から大して大きくない目を更に細め、睨みつけてくる。
「ハムスターだってエサの選り好みする時代だぞ! 穀潰しって言うな馬鹿! 無職!」
「フリーターの方がニートよりマシだ」
 言葉に一瞬つまった。よく考えれば私の生活費は完璧にケイに寄っている。なので、矛先を変えてみた。頭は悪いが誤魔化すのは得意と言うのが私の頭の定評である。
「だって……私でもこれ三日間ぐらいは我慢したんだよ……したんだけどさ……やっぱ……甘いのはちょっと……!」
間食なら構うまい。デザートでも良いだろう。しかし主食が甘いのは、正直我慢できない。ケイは言う。
「三日間。大した事ないだろ」
 失礼通り越して無神経な奴である。
「お前なあ! 一日三食三日間だぞ! 朝昼晩オール菓子パンだぞ! 何でお前耐えられるんだよ! ていうか不健康にも程があるだろ! 太るよ!」
「別に太らなかったが」
「お前は特別何だよ! 何だよいい体しやがって!」
 眼前にある、筋肉のついたがっしりした体を殴る。硬かった。涙目。

 そこで、「お取り込み中かなあ」という声がする。その明るい、子供の声は、聞き覚えがあった。
「というより、修羅場? ――ってカズ姉、ケガ! ケガケガ!」
「毛が? あ、もしかして白髪!?」
「違うよ! そんな面白くないボケしてる場合じゃないって!」
「面白くないって言われちゃった……」
「血が出てるから!」
 活発なショートカット、迷彩柄のTシャツに短パン。ソラは慌てて駆け寄ってくると、無造作に足に触れてきた。跪く子供。変態じゃないので特にときめくシュチュエーションではない。
「あら。痛い?」
「あらじゃないってば――あ、ガラスで切ったんだろ?」
「ガラス? そんなもん触って――」
「そこに割れてる瓶はなんだよ……」
「それはケイが投げた牛乳瓶――っておおい!」
「しかもその後ガラス踏んだだろ。痛そ……」
「あの、ソラ君、えっと、傷口弄らないでくれるかな」
 意識すると急に痛くなるのだった。それでも大して痛くないけれど。ソラが誇示するように見せ付けてくる掌には、血がべっとりついている。
 あれ、そんなに血が出てるのか。
 首を傾げながらケイに、救急箱を取ってくれるように頼む。
 気がついたら目の前から消えていた愛想の無い同居人は、すぐさま白い箱を投げてきた。

 いやだから、投げるなって。