詩集と死臭-02.

 起承転結、という言葉がある。
 主人公と言うものは、何らかの目標に向かって邁進し、努力しなければならない、らしい。数々の困難をあらゆる手段を駆使して乗り越え、時に挫折し、それでも乗り越え、その先にある大円団へ――というのが、実にそそるそうなのだ。
 だけれど、そんなもんやらされる主人公にとってはいい迷惑この上なく、日常をやってる方がよほど幸せなのではないかとも思うわけで、むしろ主人公の目的は日常の平和維持でいいんじゃないか、だから。

「だから今すぐ家に帰りたいですドクター緋澄……っ!」
「煩い。黙れ。舌を噛め」
「今最後にさりげなく酷い言葉言わなかった?」
「死ね」
「ストレートに言うな」
 運転席にて、車を運転しているドクターは、童顔気味な顔に不機嫌そうな表情を浮べている。ミラーごしにその整った、全体的に色素の薄い顔立ちをのんびりと見ながら、自らの目的と言うものについて思考してみた。

「氷室。何考えているのかは大体わかるから言わなくても構わないが、とりあえず馬鹿の考え休むに似たりというから考えない方が身の為だと思うがね」
「主人公たるもの邁進すべき目的に対する探求を怠ってはいけないかと思って」
「……どうして目的を探求するのだ。探求した先に目的があるのだろう。お前は本当に馬鹿だね。ソラの爪でも食わせたいぐらいだ」
「垢じゃないんだ……煎じてもくれないんだ……」
 名前が出たところで、ドクターの隣、開いている助手席を見つめている。そこはソラの専用席なので、ソラがいない時も空けたままなのである。そして、その空白を恐怖のデッドスペースと人は呼ぶ。主に私が。
 助手席が空席か否かで、こちらの待遇と危険度が段違いなのである。
 
「目的は、生活費稼ぎでいいだろう」
「そんな夢の無い切実な目的は嫌」
「嫌だと言っても仕方あるまい。実際そうなのだからな」
「そうなんだけどさ」
 ドクターは無邪気に笑った。意外な事に、ドクターの笑顔は純真なのである。というか、表情全般がそうだ。まるで子供のような。性格はどこまでも、誰よりも大人なのに。
 そもそも、とドクターは言う。

「お前は主人公ではない」
 
 そんな事はわかっているのである。わかっているが暇だから考えていただけの話だ。
「目的意識がはっきりしてる人が主人公なら、ドクターが一番だよね」
「僕が主人公になるぐらいならソラに譲るさ。当然だろう。むしろ池ノが主人公向きだ、その基準で行けば」
「そうかなあ?」
「あいつの目的は、お前を助ける事だ」
 対称が単一である以上わかりやすくて実にいい、と何だか難しい事をドクターは言う。ドクターの話は大抵難しく、理解できるのは舌を噛めだとか首を締めろだとか死ねだとかの単純な言葉ばかりである。つまり私はドクターからの言葉を、ほとんど罵倒でしか受け取っていないという事ではある。ドクター一人ならばまだしも、ケイも一緒に会話を始めるといよいよ訳がわからない。そんな二人は結構似ていると思うのだが、そう言うと両方から酷い目にあった。

「ケイって不思議だよね。私の事嫌いなのに、助けないと気が済まないってのがさ」
 
 難儀な性格というか、何と言うか。ケイが私を助ける理由を、私は知らない。聞いてみたが答えてくれない。
 どうやら知っているらしいドクターは、楽しそうに笑って言う。
「お前の所為だろう。思考しろ。猛省しろ。そして首を吊れ」
「どうしてそんな私を殺したがるのかな!」
「お前などいらない。大人は害悪だ。子供の為に死ね。お前が死ねばその分子供達に残す酸素が増える」
「ドクターだって大人じゃないか」
「大人だ。子供に子供が守れるものか。子供に害為す物が全て消えれば、僕は喜んで首を吊る」
 本心で言っていそうなので、それが恐ろしい。そもそも本心だから、私はこれからの行く末を心配して、ナーバスにならなければならないような使命感に燃えているのだ。怖くはないので、怖がらなければ。
 どうにも生まれつき、恐怖心だとか、警戒心だとか言うのが鈍いらしいのだ、この私は。ついでに言うなら痛みにも――というか全体的に、鈍感らしい。私は私の感覚が普通だと思っているのでわからないけれども。

「で、今日はどちらに?」
「図書館だ」
 そこにいるはずだ、と真剣な顔でドクターはいう。

「きっと、助ける価値がある」
 子供なのだろう。ドクターの価値基準はそこである。
 今回は、三食菓子パン生活にさようなら告げる為、そしてソラの持ってきてくれたお裾分け(ドクター曰く残飯)のお礼を言うべくドクターの元を訪問した。軽い仕事を紹介してもらおうと思った所、パンドラの箱たる机引き出しを開かれてしまったのである。しかもそのパンドラの箱には、子供に対する希望しか入っていないのだ。緋澄新羅三大魔境、助手席の空白・書斎の机の引き出し・トランクの内部。ちなみにトランクの内部は未だに見せてもらえていないが、見たいとも特に思えない。恐怖はないが、何だか嫌そうな感じである。

「お前は話していると腹が立つから寝たまえ。永遠に目覚めなくてもいいが、ついたら起きろ」
「へいへい」
 靴を脱いで、包帯の巻かれた足を後部座席に納める。ドクター直通の儲け話は、いつでも危険がいっぱいだ。それもそのはず、ドクターには私を生かそうという意志がない。寧ろ死ね一石二鳥だという感じだろう。鉄砲玉だとか、歩兵認定されてしまえば雑兵が生き残るのは難しい。
 それでも恐怖心はわかず、ただ瞼の向こうに思い浮かべる事が簡単な人達に微笑みかけ、それからケイにごめんねと謝るのだ。