詩集と死臭-04.

「で。お前は何しに来たんだ」
「散策してて迷いました」
「歩いて一時間は道がないだろうが! 途中で気付け!」
「ごめんなさい嘘。実はこう見えて無類の本好きで、森の中に沢山の蔵書があるという噂を聞きつけやってきました」
「……好きな作家は?」
「野口英世」
「作家じゃねえ!」
「お札の人ですよね」
「樋口一葉と夏目漱石のどっちと間違えたのか知らんが少なくとも本好きの台詞じゃねえ上にそもそもそれだって一般常識の範囲内だ!」
「……お兄さん意外とノリノリですね」

 どうやら警備室らしい、レンガの隣に立ててあった小さな空間に放り込まれていた。木製の椅子に、やたらと厳重に縛り付けられている。まあ、腕を折ってまで逃げようとする相手だから仕方ないといえばそうなのかもしれないが、それでも少し遠慮して欲しい、と思った。別に痛いわけではないのだが、窮屈である。
「で――お前は何しに来たんだ」
 この台詞もはや十回目。ここの警備が何人なのか知らないが、この小屋の規模から言ってそこまで大人数ではないだろう。その内二人をここに引き止められているというだけでも、私の仕事は成功だった。問題は、ドクターの方の仕事が終わった後、確実に助けてくれないので自力でどうにかしないといけないという事なのだが。
 そんな事を考えていたら、警棒で殴られた。さっきまでのギャップで落す作戦か。ふむ、ナマハゲが包丁を持ってきているのとサンタさんが包丁を持ってきているのとではどちらが怖いかと言う問題だろう。どっちも怖い。

「……酷いなあ」
「お前が無駄な事しか喋らんからだ」
「まあいいんですけどね、叩かれても」
 痛くないから。

「元から死ぬつもりでしたから」

 沈黙。それは続きを待つような間だったので、続けた。
「何でこんな所に来たか。死に場所を探してです。あのナイフは元から自分用。お兄さん達に刃向かったのは、最後に何だか凄い事をやってみたかったから。それだけです」
 茶々を入れること、茶化すこと、お茶を濁すこと。得意分野である。別に口先だけで世の中を渡ってきたわけでもないが、不真面目には渡って来た。しかしいまいち渡りきれて居ない間は否めない。
「……ここは、私有地だ」
 そんなところで死なれても困る、とお兄さんは本当に困ったような顔で言う。罪悪感がわいた。可哀相なお兄さん。可哀相でもない私を可哀相だと思っている。いい人だ。
「おい、どうする」
 もう一人のお兄さんに声をかけ、ぼそぼそと話し合いを始めてた。このまま開放されるのだろうか、その程度だろう。使われていない筈の図書館。そこに何故警備員が配置されているのか、とか、考えれば幾らでもおかしな点はありそうだったが、割合どうでも良かった。今の感心はとりあえず私の働きがドクターの納得の行く物であったのか。それからこれが終わったら何を食べようか、という事。おいしいものでも食べに行こうか、焼肉なんかどうだろう。ああだけどそれだとケイが食べれないから出前にしようか、なら寿司かなと思った矢先。

「っ……う……!」
「どうした!?」
 下腹部に違和感。既に慣れた焦燥感。ああ不味い動けない。振り向いたお兄さん二人の、訝しげな顔。

「……トイレに行きたいです……!」
 
警棒で殴られた。

「お前……空気読めよ……」
 反射で殴ったらしいお兄さんをまた抑えるようにして、もう一人のお兄さんが言う。しかし尿意と空気には相関関係はないと思うが如何か。
「兎角トイレに行きたい。縄を解いてください。逃げるなと言うなら逃げないし」
「……どうする?」
「いや――しかし……こいつ、変だぞ」
 おい見詰め合ってる暇があるなら私を助けろ。私はキレやすい若者なのですぐ苛立つのだ。そして苛々すると、もう駄目なのである。

「いいから縄とけや間に合わなかったらどうする気だ何のプレイだ――!」

 ぼきべきばき、とありえない程安っぽい音。所詮私の体など高価な訳もない、そんな音が実にお似合いである。音を立てたのは縛り付けられていた腕、既に過去形。いい人なお兄さん二人が愕然としている、嗚呼素敵。肩はどうやら使い物になっていないが指先だけは何とか動く。あれ、肩が無理なのに指先が大丈夫っておかしくないか。なら一時的に動かないだけなのかもしれない、私にはよく判断がつかない。そして興味も特に、無い。
 かつん、と開いたバタフライナイフ。手が使えないなら口を使えばいいじゃない。指は動くが握れない、その分顎は健常だ。金属を噛み締める、血でもないのに鉄の味。ずれないようにしっかりと、歯が軋むが気になどしない。
 押した分だけ押し返される、確かそんな法則があると昔習った記憶があった。しかし押し返された分だけ更に押し返してしまえば何の意味もないのではないか、と鉄の味を確かめながら思う。歯が痛い、しかし緩めればきっと押し戻されたナイフで喉を突いてしまうだろう、とそれだけはわかった。昔ケイが教えてくれたのである。
 
 ぽとり、とナイフが口から零れた。鉄の味が消えない、唇を切ったかも知れない。

「……トイレいこー」 
 しかし兎に角目標を達成するべく、私はただ部屋を後にした。