ガソリンの唄A-04.

「圭司さん、火ィ下さい」
「持ち歩いてねえのかよ」
「蓮先輩ん所行く時に吸わないようにしてるんですよ」
「ああ? あいつ別に煙草嫌いじゃねえだろ」
「女が煙草吸うのさほど好きじゃないみたいです。昔好きなタイプを聞かれて『煙草吸わない子』って言ってたと」
「相変わらずだな、お前。怖え」
「圭司さんに怖がられるなんて光栄です」
「そんなに好きか、蓮が」

「愛してます」

 さらりとそう言って笑うと、特に何を感じた風でもなさそうに、圭司さんは私の方に煙草を差し出した。ライターは丁度切れたらしかった。仕方がないので煙草を近付けてみるが、中々火が移らなかった。
「困りましたね」
「ハイライトなんてその年の女が吸うもんじゃねえって事だろ」
「圭司さんだって吸ってるじゃないですか」
「俺はいいんだよ」
「あー火がつかない。まあいいや、圭司さん」
 彼の手を掴んで煙草を引き剥がし、自分の唇に当てた。
 
「強引だな」
「欲しい物は手に入れるんです」
 そうしないと、いとも簡単に奪われてしまうから。
 
「はん。で? 恋人が自殺しかけてボロボロの男は手に入りそうか?」
 何だか含むような言い方だ、と思う。笑って、余裕で流して見せた。
「あははは。そう簡単にはいかないっぽいです。あ、圭司さんやっぱこれ返しますね。何か、人の吸ってる後って気持ち悪いです」
「勝手な女だ」

 後ろから手を回される。首だけで振り向いて目を合わせると、そのままキスをした。苦い。これだけで十分、煙草の代用が出来る。
「邪魔しちゃ嫌ですよ。私は圭司さんの彼女なんですから、邪魔なんて出来ませんよね?」
「嫌な女。お前、俺の動き封じる為に告白したな?」
「はい、まあ、そうです。だって、圭司さんは蓮先輩の友達ですからね。何だかんだいって助けるに決まってるんですよ。いい人だから」

 恋人は幸せにする。
 それが彼のルールである以上、利用させてもらうまでだった。
 
「お前に比べれば大抵の人間はいい奴だろうよ」
「知ってますか、嫌な女ってそれ、褒め言葉なんですよ」
 「知ってるよ」と呟いて、溜息をつかれる。「お前も馬鹿か」というその言葉には親しみすら篭っている気がした。勿論、篭っていなくても少しも構わない。

「でも、圭司さんだって、私と蓮先輩がくっついたら、嬉しいんじゃないですか」
「どうでもいい。馬鹿が馬鹿やってるだけだろ」
「嘘だ。だって啓司さん、ヨウコ先輩の事好きでしょう」

 嶋岡啓司。スキャンダラスな噂に事欠かず、それでも同性異性に問わずモテる男。告白は決して断らない主義、そしてしない主義の彼が告白した唯一の例外が、神宮ヨウコ。女のコミュニティから得られる情報は、曖昧だが時に都合の良い真実を強く含む。一体誰も彼も、あの女の何に惹かれるのか理解しかねる。本当、大嫌いだ、あんな女。死ねばよかったのに、と嘘偽りなく思う。自殺未遂だなんて中途半端な、と叱咤したくなった。只管に、言い聞かせる。
 あの女が自殺を図ったのは、自分の所為だ、と。

「……お前な、いい加減、何でも色恋沙汰に引っ付ける思考止めろよ。お前みたいなのがいるから、女全体で十把ひとからげにされて、子宮で物を考えるとか言われるんだ」
「あ、それ勘違いですよ。その比喩は感情的に物を考えるって意味です」
「貶し言葉で使ってるんだから似たようなもんだろうが」
「そうですかあ?」
 この男はあの女が好きなのではないだろうか。少なくとも、特別な存在であるのは確かなのだろうけれど。ふと確かめてみたくなり――笑って、言ってみた。

「ヨウコ先輩、自殺に追いやったの、私ですよ」

 つまらない事に、彼は「だろうな」とあっさり肯定して、何故か私の頭を撫でた。恋人と言うより、幼子をあやすかのように優しく撫でた。気に入らない、と思う。そんないなされ方をされたいわけじゃない。
 私はもう、子供ではないのだ。
「圭司さん」
「無理すんな。お前は嫌な女だが、駄目な女って訳じゃねえんだから」
 意味がわかりません、と抗議する。彼は最近口癖になってきた「馬鹿」をもう一度言って、それから少しだけ悲しそうに笑った。
 一体、馬鹿はどちらだと言うのだ。