ガソリンの唄A-07.

「あの」

 沈黙に耐えかねて、僕は口を開いた。林さんは相変わらず笑顔で「何ですか?」と丁寧な口調で聞いてくる。僕は今彼の隣にいて、地べたに座り込み、噴水に背を預けていた。もうかれこれ何時間も、こうしている気がする。
 あれから、圭司は林さんとほんの数分間だけ消えた後、結局何も説明せずに帰ってしまった。林さんは僕に座るように促し、それから自分も噴水の前に座り込んで、それから何も言わなくなった。これが久しぶりの会話となる。
「圭司とはどういう関係ですか?」
「知人です。知人であり、知人でしかなく、知人以外の何者でもありません」
 のんびりとした口調で断定された。もしかしてこれも地雷だったのだろうか、と不安になる。仕方がないので、そのまま本題に入った。
 
「僕は、何をすればいいんでしょうか」

 林さんは落ち着いた声で問う。
「何がしたいんですか?」
「何が、って」
「したい事をすればいいですよ。生きたいなら生きれば良し」
 「ああでも、生きる意味なんて無いというのが蓮さんの持論ですか」と林さんは言った。別に持論と言うほど大層なものではなかったのだが、そうは思う。

「それは中々良い結論です。ならば死ねば良い訳で」
「はあ」
「死ぬ事すらしたくないのなら、何もしなければいい訳です。何もしたくないのでしょう?」
 少しだけ考えて、首肯した。何もしたくないのだ、僕は。

「なら何もしなければいい。私もね、何もしたくなかったんですよ。だから、何もしません」

 そこまで言うと、また前を向いて黙り込む林さん。どうやら沈黙に気まずさを感じるタイプではないらしい。一体何を見ているのだろうと視線を追うが、そこには何の変哲も無い風景が浮んでいるだけだった。遊びまわる子供達もいない、さえずる鳥も居ない、ただ無機物のみが配置されている風景。見ていて面白い物だろうか。
「いつも、ここでこうしているんですか」
「はい。かれこれ五十年ぐらいこうしている気がしますが、実際は五年ぐらいのものかもしれません」
「楽しいですか」
「とても楽しいです」
 彼の答えに迷いはない。その率直さに、僅か惹かれた。それは例えば圭司に抱くような、憧憬。

「代わり映えしませんよね?」
「代わり映えしませんね。しませんが、時々代わり映えする事もあります。今回は蓮さんがやってきましたし」
「今回は、というと他にもこういう事があるんですか」
「はい。家出した女の子が居場所が無くてやってきたり、友人の猫が世間話にやってきたり、奇抜な格好の女性が帰るのが面倒くさいという理由で泊まっていったりします」
「友人の猫が世間話に来るんですか」
「間違えました」
 そうだろう、と思っていたら「猫の友人です」といわれた。そっちだとは思わなかった。

「皆、何をするんですか?」
「唄を聴きますね」
「唄?」
「ガソリンの」
 ガソリン、と再び反復する。林さんは「ああ本当はガソリンじゃないらしいんですが、覚えられないのでガソリンです」とあっさり言った。意味がよくわからない。

「僕も聴くんでしょうか」
「聴こえるとは思います。私には聞こえますからね」
「そうですか」
 そうやってまた、質問を探す自分に気づく。僕ばかり質問していて心苦しい気もしたが、よくよく考えれば林さんが僕に興味がある訳もなく、ならばそれは余計な気遣い――というより、僕がこの無遠慮な質問をとりやめればいいだけの事だ。

「蓮さん。私は気にしませんから、黙ってもらって結構ですよ」
 林さんは特に気分を害した風もなく、当然のようにそう言う。
「何もしないでみてください。考える事がお好きならやればいいと思いますが、すぐ考える事なんてなくなりますよ」
「そうですか?」
「はい。貴方の好きにしてくださいな」

 考える事がなくなる事などあるものだろうか。それは悩みが消える事と同義ではないのか。
 例えば彼女の事。彼女の自殺未遂の理由。彼女の中身。彼女の生きる意味。僕の意味。僕の事。僕に出来た事。僕が出来なかった事。僕がしなかった事。彼女を救う事。彼女が起きた時の事。彼女が起きなかった時の事。かける言葉。行動。僕のすべき事。僕のする事。

 考える時間は、与えられた。
 ならば、考えればいいのだ。
 好きにすればいいのなら、好きにしよう。
 焦点がぼやけていくのを感じながら、僕は考える事を開始した。